医療総研の設立経緯

病院薬剤師として勤務し、医療ソフト総合研究所を立ち上げるまでの経緯を記載します。この経験が、今取り組んでいる「三位一体の社会保障費の抑制」の原点となっています。

太田善文

1953年 長野県松本市和田に男兄弟の三男として生まれる
長野県立 松本県ケ丘高等学校卒業
北里大学薬学部薬学科卒業
豊科赤十字病院勤務 病院薬剤師として13年勤務
1991年 (有)医療ソフト総合研究所設立
2016年 有限会社を閉め個人事業に切り替え

病院薬剤師として勤務していた時代

病院薬剤師として13年勤務しました。当時は院内調剤が主流で、数多くの外来患者さんの調剤業務に明け暮れていました。

コンピュータとの出会い(30歳のころ)

医薬品の在庫管理を担当して、病院経営の面から「なぜ医薬品の在庫管理をするのか?」という素朴な疑問から、在庫管理が経営に影響することが分かり、その適切な医薬品の在庫管理の重要性を痛感しました。また、「薬剤師が本来すべきことは、適正な調剤業務だけでなく、薬の専門家として患者さんに寄り添うことが大切である」と考えていました。

患者のそばに行く時間を作るには、在庫管理をコンピュータで出来ないかと考えて、プログラムの開発業者に相談した時に、「私たちが医薬品という特徴を理解し、その特別な動きをシステム化するよりは、太田さんがプログラムを勉強して開発した方が早いですよ」と言われたことがきっかけで、当時は高価だったパソコンを購入してしまったのです。

そして、数年後には独学で、在庫管理システム、医薬品集管理システムのプログラムを開発して稼働させました。その頃に、「システム設計」の勉強をしたり、経営管理や財務管理の勉強をしたりして、薬剤師とは縁遠い様々な知識を習得しました。QC、TQCや品質管理、統計学もこの頃に勉強しました。

院内の業務改善の取組み

院内で「薬剤師の太田さんは、コンピュータに詳しい」という大きな誤解(パソコンとオフコンは全く違うものなのに・・・)から、手書きで行っていた保険請求業務を、コンピュータ化するプロジェクトに選ばれてしまいました。午後3時までは薬剤師の仕事、それから夜9時過ぎまでは導入準備と2足の草鞋を履くことになり、機種選定から導入後の安定稼働まで2年以上は、そんな生活でした。

この間に、院内の処置伝票や検査伝票、カルテ管理、物品管理、物流管理までの業務改善を手掛けました。多岐に渡る作業プロジェクトを立ち上げ、院内の管理者や中間管理職の方々、そしてコンピュータ業者と一緒に取組みました。この時に、「院内の多職種における業務改善の大変さ」を実感したことが、その後の私の人生を大きく変えることになるのですが、当時は無我夢中でした。

私自身の責務の自覚と退職(33歳~36歳)

院内の業務改善が落ち着いた33歳の頃に、病院薬剤師会の中信地区の副会長を担うことになり、「これからの病院薬剤師の育成」を目的として、9回の勉強会を企画し開催しました。「これからの病院薬剤師とコンピュータ化」、「医薬品在庫管理と病院経営」、「医薬品情報管理」で各3回ずつ開催し、若手薬剤師の育成にまい進しました。

この2年間の勉強会を通じて、他の病院の薬剤師や関係する業者の人たちの様々な相談に乗っているうちに、「こんな私を必要としている人たちが多くいること」に気付き、「困っている人たちのために、人事を尽くすこと」が、私の責務だと思いはじめていました。

医薬分業が動き出す時代とも重なり、長年勤めた日赤病院の仲間と離れる辛さもありましたが、勇気を振り絞り、退職を決意したのでした。そして、医療の中で目に見える「ハード」に対して、目に見えない患者や職員の気持ちを「ソフト」と考え、この人たちを支援する意味を込めて、「医療ソフト総合研究所」という大それた名前の会社を立ち上げました。

2005年2月に書いた「ひとり言」(何かあった時だったと思いますが、私の本音が書かれています。コンサルタント歴の中間です。)

コンサルタントなんて仕事は本気でやるものではありません。身体がいくつあっても足りないですし、本気になればなるほど、その結果は相手の経営者には見えなくなってしまうのです。と言いますのは、仕事のコンサルタントですが、仕事はその人の人間性と密接に関わりあっていますから、本気になればなるほど、その担当者の人間性と付き合うことになるのです。ですから、「好きな相手としか仕事ができない」と本気で思っています。人間的に本気で付き合い、その上で仕事の成果を見えるようにするのですから、この仕事はやるものではないのです。

しかし、今の私(こうして皆さんにメルマガを書いている私)があるのは、このコンサルタントという仕事を通じて成長させていただいたからです。「成長した」と自分で言うもの変ですが、13年前に薬剤師を辞めた頃の自分より、今の自分の方が好きだと思っているからです。正直な話、「逃げたい」と思ったことも何度もありました。

生活していくことだけ考えるならば、国家資格である薬剤師の免許を使ったほうがどんなにかストレスは少ないです。今請け負っているコンサルタントの仕事は「必ずできる」といった確証の元ではないのです。製品を納入したり、システムを稼動させたりすることが成果ではなく「実際にやってみなくてはわからない」ことがほとんどなのです。

先日もある人に「どうしてこの仕事をしているのですか」と訊かれ、「逃げられないからです」と正直に答えてしまいました。これが私の本音です。確かに、今支援しているどの仕事も、やっているときは非常に充実しています。相手の人にすると「不満」があっても言えないのかも知れませんが、私としては手を抜くことなく、自分なりに精一杯取り組んでいるから、充実しているのだと思います。

いつか、今関わりあっている人たちから「もう大丈夫です」と言われたその時が、私の仕事に終止符を打つときです。それまでは、苦難や困難から逃げるのではなく、全て自分のこととして捉えて、自ら立ち向かっていこうと思っています。

私が、仕事や生き方において大切にしていること

1. 「もし、自分が相手の状況なら何をしなくてはならないか」という観点から、自分  のこととして全てを捉えること。
2. 私がいなくなっても機能しているように、常に相手の自律を考えて支えること

病院では、「理念・基本方針」というものがありますが、当社では「相手の立場に真剣に立つこと。相手の自律を目指すこと」となるのかもしれません。私は、常にこの気持ちを忘れずに仕事をしています。皆さんも、「勤めている病院や施設、会社の理念を、日常業務の中でどのように実践していくのか」という気持ちが大切だと思います。そして、仕事上の理念が自分の生き方の信条に結びついた時に初めて「働き甲斐」が生まれるのだと思います。

私が大切にしている考え方は、「子育て」ならば、子供の目線に立ち、自立ではなく、「この子は何をしたいのか」といった自律を考えて話すことですし、部下に対しても全く同じように、部下の考え方を自分に置き換えて考えみる事、部下が目指している目標を考えた上での自律に向けた指導をすることです。

相手が患者さんや介護するお年寄りであれば、精神的な部分での不安、社会的な面からの迷いなどを、相手の目線で捉えることが重要であり、そして、できないことをカバーする自立に向けての支援ではなく、「どうしたいのか」という視点に立った自律に向けての支援をどうするかが重要なのです。

独り言と称してかなり勝手なことまで書いてしまいました。これが最後です。

吉田拓郎の「我が良き友よ」という歌に「家庭教師の柄じゃない 金のためだと言いながら 子供相手に人の道 人生などを説く男」という歌詞があります。生き方においても、仕事においても、私はこんな「男」を目指しているのかもしれません。そしていつかは、迷っている子供たちと一緒の時間を過ごせたらと願っています。